滋賀県の県庁所在地は大津!なぜ県名と違う?彦根でない理由と歴史の謎
小学校や中学校の地理の授業、あるいは中学受験の社会科対策で「都道府県名と県庁所在地名が異なる自治体」を覚える際、真っ先に登場するのが滋賀県(県庁所在地:大津市)です。日本最大の湖・琵琶湖を擁する滋賀県において、県庁が置かれているのは南西端に位置する大津市ですが、ふと「なぜ滋賀市ではないのか」「かつて城下町として栄えた彦根市ではないのか」と疑問を抱いた方も多いのではないでしょうか。
その背景を紐解くと、明治維新期の激動の廃藩置県と、古代から続く水上交通・防衛上の要衝としての歴史ドラマが浮かび上がってきます。本記事では、滋賀県庁が大津市に置かれた歴史的経緯から、テスト対策に役立つ覚え方、登録有形文化財に指定されている滋賀県庁本館の見どころまで、詳しく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:滋賀県の県庁所在地は大津市であり、県内最多の約34万人を抱える中核市として発展している。
- 要点2:県名と県庁所在地が異なるのは、廃藩置県時に「滋賀郡大津」に県庁を置いたことから県名が名付けられ、後に市制施行で「大津市」となったため。
- 要点3:かつて北部を管轄した「犬上県(彦根)」との統合時、京都への近さや水運の要衝としての優位性から大津に県庁が一元化された。
【基本データ】滋賀県の県庁所在地は大津市!人口と街の特徴を総整理
滋賀県の県庁所在地である大津市は、滋賀県の南西部に位置し、琵琶湖の南端を取り囲むように南北に細長い地形をしています。古くは天智天皇が都を置いた「近江大津宮」以来の歴史を誇り、東海道五十三次の最大の宿場町「大津宿」としても栄えた名刹の地です。
大津市の人口は約34万人(滋賀県全体の約24%)を占め、県内第1位の規模を誇る中核市です。JR東海道本線(琵琶湖線)の新快速を利用すれば京都駅まで約9分、大阪駅まで約40分という抜群のアクセス性を誇るため、関西屈指のベッドタウンとして人口流入が続いてきた特徴があります。
琵琶湖観光の玄関口である「びわ湖大津プリンスホテル」や大型商業施設が立ち並ぶ都市的景観と、世界文化遺産の比叡山延暦寺、三井寺(園城寺)、石山寺といった重厚な歴史文化遺産が美しく融合している点が、大津市の大きな魅力です。
なぜ県名と違う?「滋賀市」が存在せず大津が県庁所在地になった歴史的経緯
「なぜ滋賀県なのに滋賀市がないのか」という疑問は、全国の地理ファンや学習者の間でも定番の謎です。この経緯を理解するには、明治時代初期に行われた行政区画の再編史を振り返る必要があります。
1871(明治4)年7月の廃藩置県によって、近江国内にあった旧幕府領などを引き継いでまず「大津県」が設置されました。その後、同年11月の第1次府県統合の際、明治政府は県庁の置かれた郡名を県名に採用する方針を打ち出します。当時、大津の町が属していた郡が「滋賀郡」だったことから、1872(明治5)年1月に県名が「滋賀県」へと改称されました。
その後、1898(明治31)年に滋賀郡大津町が単独で市制を施行する際、歴史ある町名を引き継いで「大津市」が誕生しました。郡名である「滋賀」を冠した市を作ることなく、古くからの固有地名である「大津」を採用したため、全国的にも珍しい「滋賀市が存在せず、滋賀郡大津町が母体となった大津市が県庁所在地」という構図が完成したのです。
「彦根」が県庁所在地にならなかった真相|明治の廃藩置県と犬上県の統合
滋賀県の歴史を語る上で、もう一つの大きな拠点として外せないのが湖東・湖北の中心地である彦根市です。国宝・彦根城を有し、江戸時代には井伊家35万石の城下町として近江国最大の政治的拠点だった彦根が、なぜ県庁所在地にならなかったのでしょうか。
廃藩置県当初、近江国は南部を中心とする「滋賀県(旧大津県)」と、北部を中心とする「犬上県(旧彦根県・長浜県)」の2つに大きく分かれていました。犬上県の県庁は彦根城内に置かれており、当時は滋賀県と犬上県が並立する時代が存在したのです。
しかし1872(明治5)年10月、両県が統合されて現在の滋賀県全域が一つにまとまった際、県庁は彦根ではなく大津に集約されました。その決定打となった主な要因は次の3点です。
第一に、大津が琵琶湖水運と陸上交通(東海道)の結節点であり、古くから経済活動の中心地であったこと。第二に、大都市である京都や大阪との物理的・政治的な距離が極めて近かったこと。そして第三に、幕末に佐幕派の中心であった旧彦根藩の影響力を明治新政府が抑えようとしたという政治的思惑も一部で指摘されています。地理的・実務的な利便性が優先された結果、大津が近代滋賀県の中心地として選ばれました。
【中学受験・地理対策】滋賀県の県庁所在地「大津」のスマートな覚え方
中学受験や高校入試の地理分野において、「県名と県庁所在地名が一致しない都道府県」は頻出の超重要単元です。滋賀県=大津市を混同せずに覚えるための実践的なコツを整理しました。
もっとも効果的なのは、漢字の原義と地理的特徴をリンクさせる方法です。「津」という漢字は「船着き場・港」を意味します。つまり「大津」とは文字通り「大きな港」を意味しており、琵琶湖の南端にあって物資が集まる水上交通の大拠点だったという地理的背景を理解すれば、丸暗記に頼らず記憶に定着します。
定番の語呂合わせとしては、以下のようなフレーズが受験指導の現場でも広く使われています。
「滋賀(しか=鹿)の大きなツノ(大津の「津」)」
「滋賀(しが)みつく、大きな津波(大津)」
また、隣接する京都府(京都市)や三重県(津市)との位置関係を白地図上で確認し、琵琶湖の出口に位置する大津のポジションを視覚的にインプットすることも極めて効果的です。
昭和のモダニズムが息づく「滋賀県庁本館」の見どころと登録有形文化財の魅力
現在の大津市京町四丁目にそびえる滋賀県庁本館は、建築ファンや歴史愛好家の間でも高い評価を受ける名建築です。1939(昭和14)年に竣工したこの建物は、昭和初期の官公庁建築の傑作として知られ、2014(平成26)年に国の登録有形文化財に登録されました。
設計を手掛けたのは、大阪府庁本館や旧神奈川県庁舎などの設計にも関わった建築家・日比忠彦らです。外観は落ち着きのあるスクラッチタイルで覆われ、正面玄関の車寄せや左右対称の重厚なファサードが威厳を放ちます。
内部に足を踏み入れると、大理石が贅沢に使われた中央階段や、アール・デコ調の照明器具、ステンドグラスなど、当時の職人技が随所に光ります。一般の来庁者も利用できる県庁前広場や緑豊かなロケーションも含め、大津の歴史的景観を象徴する重要なランドマークとなっています。
滋賀県庁へのアクセス・開庁時間と来庁時のポイント
公的手続きや観光・視察などで滋賀県庁本館・新館を訪問する方向けに、基本的なアクセス情報と利用案内をまとめました。
【所在地・開庁時間】
・所在地:滋賀県大津市京町四丁目1-1
・開庁時間:平日 8:30〜17:15(土・日・祝日・年末年始を除く)
【公共交通機関でのアクセス】
・JR琵琶湖線(東海道本線)「大津駅」下車、中央口から徒歩約5分。
・京阪電車(京津線・石山坂本線)「びわ湖浜大津駅」下車、徒歩約10分。
・京阪石山坂本線「島ノ関駅」下車、徒歩約8分。
JR大津駅から徒歩圏内というアクセスの良さは、県内外からの来庁者にとって大きなメリットです。周辺には大津事件の舞台となった寺院や琵琶湖疎水の起点などもあり、散策コースとしても充実した環境が整っています。
【滋賀県の県庁所在地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:滋賀県に「滋賀市」ができたことは歴史上一度もないのですか?
A1:一度も存在しません。明治初期に「滋賀郡」という郡名は存在しましたが、県庁が置かれた地域は「滋賀郡大津町」であり、1898年に市制を施行した際に「大津市」となったため、歴史を通じて滋賀市という自治体は誕生していません。
Q2:かつて滋賀県と福井県(嶺南地方)が一緒だったというのは本当ですか?
A2:本当です。1876(明治9)年から1881(明治14)年までの約5年間、現在の福井県嶺南地方(敦賀市や小浜市など)が滋賀県に編入されていた時期がありました。日本海側と琵琶湖を直接結ぶ構想などに基づいた再編でしたが、その後の見直しにより現在の福井県へと再分割されました。
Q3:滋賀県庁本館の内覧や見学は一般人でも可能ですか?
A3:業務時間内であれば、1階の共通ロビーや吹き抜け階段など一部の共用エリアは見学可能です。また、滋賀県では県民や観光客向けに本館の歴史や意匠を紹介するパンフレットの配布や、特別公開イベントが実施されることもあります。
まとめ:歴史の重層性と水運の要衝が生んだ大津の存在感
滋賀県の県庁所在地が大津市である背景には、古代から続く琵琶湖水運の拠点としての利便性、京都に隣接する地政学的優位性、そして明治維新期の廃藩置県における行政統合のドラマが複雑に絡み合っています。
「なぜ県名と違うのか」というシンプルな疑問を掘り下げることで、日本の近代化の歩みや地域の成り立ちをより立体的に理解することができます。歴史の重みを感じさせる登録有形文化財の県庁舎とともに、大津市は滋賀県の政治・経済・文化の牽引役として独自の発展を続けています。 (出典: 滋賀 県 県庁 所在地(Yahoo!ニュース))